ステレオタイプ

多国籍なクラスでの授業では、ときどき、イメージが先行し、事実を伝えると、「えー、そうなんだ」とお互いの国のリアルを認識しあうことがあります。一方で、フィルターをかけて見ること、見られていることも多々あります。


ある日の授業で、「中国人は、犬を食べるんだろう? 野蛮すぎる。犬を飼っているものからしたら、考えられない」と発言した人がいた。言われた中国人は、他のことを考えていたようで、この発言を聞いていなかった(幸いか?)。すると、先生は、その発言者に対し「それはステレオタイプだ」と。発言した本人は、悪意があった、そうではないか、真意のほどは分からない。ただ、先生は、この言葉をとらえ、ステレオタイプについて、熱くかたり始めました。


マルタ料理で絶品とされている料理の中にうさぎ料理があります。食用に飼育されたうさぎを食べます。食文化はその国の歴史でもあるので、背景なども知らずに、簡単に野蛮だと言うこと、強いては中国人全員を野蛮だと捉えるのはステレオタイプ、そのもので、いい大人だから気を付けなければならないとおっしゃった。

たかだか英語の授業。スルーして授業を進めることはいたって簡単だったとも思う。しかし、敢えてこの言葉を使い、フィルターをかけて他の国の人を見るのは賛成できないというスタンスに、驚きつつ感動してしまった。


インターネットの普及で、映像として各国の様子を目にすることが多くなった。その映像がフィクションなのか、ノンフィクションなのか。作為的なのか、そうではないのか。その真意を探す間もなくダイレクトに脳にインプットされてしまう。

本であれば、その言葉から想像し、作者の意図を行間から読み取ることができ、読み手が取捨選択できる。いったん自分の脳で咀嚼することが可能……。


この日の授業は、「世の中に配信されている世界の情報をどのように受け止めるか」について、深く考えるきっかけを作ってくれた授業でした。教養がある先生に出会えて本当に嬉しかった。


マルタのカフェでよく見た光景の一つに、同性愛者が仲良くご飯を食べ、お酒を飲み、キスをしている。手をつないで歩きながらキスをする。純JAPANの昭和うまれのおばさんは、驚いたと同時に「まじかよ! リアルにみちゃったよ!」と驚きを禁じえなかった。しかし、リアルに見てしまうと、意外と気にならないもので、そういう人生もありだよね、と認められました。


ひとそれぞれ、生い立ちも違い、育ってきた環境も、働く環境も、家族構成もぜ―んぶ違い、それぞれに歴史がある。だからこそ、「個」で向き合う必要があると実感しました。マルタでは幸い、わたしは、日本人はいい国の人というフィルターを持っている人に恵まれたため、いやな思いはしなかった。しかし、アメリカや、フランス系の東南アジアのホテルでは、ものすごい差別を受けたこともあります。その時は、カチンときたし、つたない英語で反論もしました。でも、いまは、そういうフィルターしかかけられない人、会社、ホテル、経営者、はい、残念ねと思えます。


語学留学ですが、多くは人としての学びが多いような気がします。

続く

Try Everything!

Til I reach the end and then I'll start again No I won't leave, I wanna try everything I wanna try even though I could fail

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